
お酒!
最近どうも鬱気味である。
プチ引きこもりになりそうな気配・・・。ところが蘭丸&未来がいるのでそうもいかない。
朝6時半には散歩に行くし、夕方も蘭丸と未来ちゃんを連れて散歩に行く。
どんなに気分が優れなくても犬の散歩だけは苦痛に思ったことがないのだから不思議だ。
蘭丸と未来のおかげか、我が家は外食もほとんどしない。
私のささいな楽しみとは、蘭丸と未来ちゃんを相手に晩酌をすることかな?
とにかく私は、ワンコと同じくらいお酒が好き!!しかも、醸造酒!!
つまり、ビールから始まって、ワインか日本酒、というのがお決まりのパターンだ。
ひとりでも晩酌は欠かさない。その隣には蘭丸と未来ちゃんがいて、酔っ払いの相手を毎晩することとなる。
でも、彼らにとって、酔っ払いの相手も悪くはないらしい。毎度、酔った勢いで、お刺身にナンコツなど、結構なおつまみがもらえるからだ。
私の晩酌はだいたい、一時間半ほどで終わる。食中酒が好きなので、食事が終わってからお酒を飲むことはないので、その後はすぐ寝室に行き、蘭丸と未来の匂いをフグフグを嗅いで、一緒にベッドにもぐりこむ。
時に食べ残しは、次の朝のワンコたちのご飯に変身!
もちろん、それは想定内で、私の食べるもののほとんどは、塩、醤油はかけていない。
いつだったか食べ残しの鯖のグリル焼きを次の日の朝、蘭丸と未来ちゃんのご飯にするため、ラップをかけておいたことがあったっけ。
が、翌日それがない!!
どうやら、遅く帰宅したダンナが自分の夕飯と勘違いして食べてしまったようだ・・・。
「あんたの飯は、他にあっただろー!!」
自分のご飯より、ワンコのご飯の方がおいしそうに見えたのかな???
ちょっと反省&夫婦で大笑い。
気分が憂鬱ながらも、我が家のワンコに救われている今西。
これから、蘭丸のお尻に顔をくっつけフグフグ・・・未来ちゃんのおなかに顔を押し付けフグフグ・・・。
ワンコの匂いを嗅ぐととても幸せな気持ちになれる。
犬っていいよね。
幸い、私はゴミ箱の中で寝ても平気なほど、丈夫なので、換毛期の今でも、ワンコの毛の中に埋もれていられる。
明日は、ワンコ仲間との飲み会だ。蘭丸&未来ちゃん、たまの外食許してね!
ペットショップ
我が家がよく行く、大型ホームセンターがリニューアルオープンした。
ペットコーナーが拡大されたというので、早速行ってみることに・・・。
目的は、あくまでも我が家のワンコのおやつやその他のグッズをゲットするためだ。
その時、やはり、子犬・子猫販売コーナーを横切ることになる。
ペットショップで売られている犬を見るのはあまり好きではない。
どの犬も生後月齢にしては痩せ過ぎているし(どのペットショップも同じ)、あんな狭いところに閉じ込められている犬を見ているのは悲しすぎる・・・。
著書、ドッグ・シェルターの主人公、ジョアンが日本にやってきた時、彼女は日本のペットショップに行って、開口一番こう言ったっけ・・・「日本って国はなんて残酷なんだ!!あんなふうに犬や猫を売るなんて信じられない!」と・・・。ご存知の方も多いと思うが、アメリカのペットショップでは、グッズなどの販売が主で生きている犬や猫は売られていない。
私も、取材などでいろいろな方と出会うたびに、犬や猫に対する考え方が大きく変わった。
最近では、売れ残った犬はどうなるのだろうか・・・、頼むから早く誰かいい飼い主が見つかりますように・・・と祈るような気持ちで、子犬ちゃんたちの入ったガラスケースの前を足早に通り過ぎるようになった。とくに、我が家と同じ犬種のコーギーや柴が売られていると、いてもたってもいられない。
なるべく見ないように足早に通り過ぎて、我が家の子たちの大好物のブタの耳をゲットし、レジスターに駆けつけることにしている。
今思えば、我が家の未来ちゃんも五体満足であれば、ガラスケースに入れられて、売られていたのかもしれない。(ちなみに未来はどうみても立派な柴)
きっとブリーダーが売り物にならないからと捨ててしまったのだ。
そう考えると、複雑な気持ちになる・・・。
ペットショップで犬を買うことが悪いとは思わない。何と言っても先住犬の蘭丸はペットショップで買った犬だし、出逢いの場はどこであっても構わないと思う。
ただ、もっと厳しいルールをつくって欲しい。
犬や猫はすべてマイクロチップ制にし、買うときに飼い主の登録を済ませ、捨てたりしたら、二度と動物が飼育できないようにするなどの配慮が必要だ。
衝動的にただかわいいからと買うのを制御するため、買いたいと申し出てから最低でも、一週間は予備期間を設けてから引き渡すとか・・・。
そんなことを考えながら、せっせと我が子のブタ耳を買いに、今日もホームセンターに出かける私・・・。
次回出したいと考えている本の出版どうなるのか?編集者からはまだ連絡なし。
またもや、ワンコがテーマの次回作・・・。犬・犬・犬でごめんなさい。
頭の中は犬一色!どうしてこんなに犬が好きなのか、自分でもわかりませんが、思えばダンナも戌年生まれなのであった・・・
蘭丸が見る子どもと大人の境界線
我が家の犬、蘭丸は犬には興味を示さないが、異常なほど人間が好きだ。
これはたぶん、飼い主の甘やかしすぎで、自分を犬とは思わず、人間だと思っているせいと推測される。
とにかく他の犬と数センチの距離ですれ違っても、そこにはまるで何も存在しないかのような素振りで素通りしてしまう。が、その犬をぐるりと回って、飼い主さんのところへいったらもう大変!!鼻をキュンキュン鳴らし、撫でて~♪ボクかわいいでしょ??と言わんばかりに大喜びする。
これは、犬を連れている人であろうが、犬を飼っていない人であろうが、老若男女を問わず、とにかく人を見れば尻尾を振って寄って行きたがる。ところが・・・こんな人好きの蘭丸であるが、子どもは大の苦手。赤ちゃんを見ても全く知らん顔。幼児が近寄ってくると、「触らないで~・・・」と言わんばかりに逃げ腰でその場を去る。深く観察していると、どうやら、蘭丸の中には、大人と子どものはっきりとした境界線があるようだ。それは「つ」のつく年齢が境となっている。つまり「ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・ここのつ」と、0歳から9歳児の子どもに対しては、蘭丸は人間だと認識していないのだ。
もっとわかりやすく言うと、小学校三年生までは、「人」ではなく別の生き物であると蘭丸は考えていると思われる。で、小学校四年生(10歳)以上が蘭丸にとっての「人」というわけだ。
それは、飼い主の私が驚くほど正確に区別できている。
以前、ある大手学習塾の代表が言っていた。
「今西さん、子どもの教育の中で一番重要なのは、”つ”がつく年齢なんですよ。つまり九つまでの経験がその人の後の人格に大きな影響を及ぼすんです(以下省略)」ということを聞き、妙に納得したことがある。それだけ「つ」のつく年齢をいうのは、五感で物事をキャッチし、五感で行動する「無垢」な年齢なのだろう。つまり「無垢」=「人間ではない」というのが蘭丸の見解だ。人間とは煩悩の塊。その煩悩がにょきにょきと出始めるのが、10歳頃なのである。
この考えは様々なところで合点が行く。小学校三年生以下の子どもたちに授業をすると、授業が終わった時、私の体を触ったり、びっくりするくらい至近距離によってくる子どもがいる。
それが、四年生になるとぴたっとなくなる。
これと全く同じことを蘭丸は動物の勘をで区別しているということだ。
さて、なぜ私がこの話を書いているのかと言うと、今日夕方の散歩の時、こんな面白いことがあった。
蘭丸を連れて歩いていると5、6名の男の子が蘭丸の側を歩いていた。
見たところ、小学校3、4年生かと思ったが、蘭丸が全く無視をしているところを見るとどうやら、まだ”九つ”以下であるらしい。(それくらい、3年生と4年生の違いは大きい)
私もそのまま通り過ぎようとしたが、その中のひとりの男の子が蘭丸を指して「この犬、かわいい!触ってもいい?」と後ろを振り向いて私に聞いた。
「いいよ!ほら、蘭丸、かわいいってさ!!お兄ちゃんがいってるよ」
この「かわいい」と言う言葉に蘭丸は妙に反応が早い。最初はキョトンとその男の子を眺めていたが
「かわいい」の一言にエンジンがかかったのか、そばによって行って仕方なくペロペロとその子の手や顔を舐め始めた。
男の子がまた「かわいい!!」と言ったので、今度は私がその子に向って言った。
「蘭丸が好きだよ~!!って言ってるよ!!蘭丸!ほら!!すきすき~」
すると、その子は、なんと蘭丸に向って笑顔で「ありがとう!ボクをすきって言ってくれてありがとう!うれしいよ」と言ったのだ。
これには、私もおったまげた!!「ぼくをすきって言ってくれてありがとう」という言葉が、違和感なくこんなに素直に出るなんて何という感性の持ち主なのだろう!
九つにして、犬に「ありがとう」と言えるなんて、この子の両親はどんな育て方をしたのか、いや、九つだから言える言葉なのか・・・。男の子の言葉は私にも幸せを与えるほど、屈託なく、そして何ともステキな響きだった。
恐るべし!!九つ少年!!
感動で、男の子の後姿を見送っていると、足元から「わん!」という声・・・。蘭丸を見ると、ビーフジャーキーを狙っているのか、オスワリをしてじっと私を見ているではないか!
「今の子にちゃんとご挨拶できたでしょ?ご褒美ちょうだいよ!!」
やはり蘭丸には少年が「人」とは映っていなかったらしい。私を喜ばせるために愛想を振りまいただけだったのか・・・。このばかちん!!
ちなみに、少年が去る前、「君たち三年生?」と聞くと「うん!!」だとさ!
うーむ・・・。恐るべしは蘭丸か・・・。先住犬の意地じゃ!未来に負けんなよ!!
最後になるが、四年生でも誕生日が来るまでは、9歳児・・・しかし、ここまではさすがの蘭丸も見抜けんよな!
未来ちゃんと小学生
我が家には犬が二匹いる。本来なら散歩も二匹一緒で問題ないのだが、蘭丸とハンディのある未来とでは普通の道では歩く速度が違いすぎる。
海岸散歩は一緒だが、普段自宅周辺の散歩は、蘭丸チーム(私と蘭丸)&未来ちゃんチーム(ダンナと未来)に分かれて散歩に出る。ただ、夕方はダンナが仕事でいない場合が多々あるので、その場合は
蘭丸を先に散歩に連れて行き、その後未来を連れて行くという手段を取っている。
今日も、そのパターンで蘭丸の散歩を先に終え、未来をいつもの公園まで連れて行った。
未来が子どもが好きなのは著書「命のバトンタッチ」でも触れているが、今日はまたひとつ、不思議なことがあった。
公園の真ん中で、小学生が7人ほどサッカーをして遊んでいたのだが、その中のひとりの男の子が洋服を泥だらけにして遊びからはぐれて寝転んでいた。
その姿を未来が見止めたかと思うと、シッポを大きく二、三回振って、わん!と一回。大きく飛び上がっって、その子どものところへ一目散でヒョコヒョコと駆け出した。
そして、その子の手をペロペロ舐めて、そばにちょこんと座った。
瞬間、この男の子には何か心の中に悩み事があるのだな・・・と私は感じた。
未来はそういう子どもの所へよく一目散に走っていく癖がある。
どうして、それがわかるのかと言うと、何度かそういった子どもたちに会うたび、子ども自身から未来へ自分の家庭環境や悩みなどを話し出すことがあるからだ。
その男の子とは今日初めてあった。未来がいきなり近づいてきて最初は驚いた様子だったが、未来を撫でて、「かわいい」と言って起き上がってきた。
撫でながら、未来の失った後ろ足をまじまじと眺めていたが何も言わず、しばらくして、「またな!」と言って走り去っていった。それでも未来は、その子をずっと見ていた。
一体未来はその男の子から何を感じ取ったのだろう?
そのうち雨が降ってきた。私が「未来ちゃん帰ろうよ」というと、未来もトコトコと歩き出し、大きなウンチをして帰路についたのであった。
少年よ。明日も会えるかな???
「命の授業」子どもたちの感想文
先に書いたW小学校のK先生が学年主任をしている五年生たちの感想文が、私の手元に届いた。
後ろ両足に障がいを持ち、センターで殺処分寸前の未来が救い出され、元気に生きている―。
命の可能性を知ってもらうと同時に、愛情、信頼で、生きているものは美しく変われるのだ!ということを
未来という犬を通じ、「命の授業」と題して行なった。
子どもって、素晴らしい!子どもへの様々な啓蒙活動は、教育の中で欠かせないものだと思う。
まずは、大人が真剣に子どもと向き合い、そして、啓蒙のテーマなるものにつても真剣に考え、できることから実行に移すことである。うわべだけの訴えに、子どもは耳をかさない。子どもは、そんな大人とは関わりたいとは思っていない。子どもは真剣に自分に向き合ってくれる、そんな大人を望んでいるのだ。
子どもの感性ってすごいよね!子どもたちの感想文の一部をここに紹介したいと思う―。
今日、未来ちゃんの話を聞いて私の中で何かが変わったような気がします。
私も、今までだったら平気で犬を捨てていると思います。
でも、「かわいそう」とか「汚い」じゃなくて、捨て犬に優しくしてあげられるのはすごいことだと思います。
「自分を必要としている何かがいて、自分だってそれを救う力があるんだな」と、「自分でも運命を変えていくことができるんだ」という思いが浮かびました。誰かを幸せにできるのはとても素晴らしいことだと思います。何かの為の尽くすっていうのは楽じゃないけど、未来のようにそれで救われる子もいる。
「愛護」という言葉のように何かを「愛して護れる」大人になりたいと思いました。
私も捨て犬を助けてあげられるような人になりたいです。捨てるのは簡単だけど、助けるのはむずかしいんですよね。そんな勇気を私も持ちたいです。(A.Oさん)
犬のことを詳しく教えてくれてありがとうございました。
未来ちゃんへ―。
私は耳が聞こえません。耳が聞こえないのは目が見えないのとだいたい同じです。
でもがんばって、友達を作って、勉強をして元気いっぱいでいます。
未来ちゃんもがんばっていますね。地球上の物はみんながんばっているんだよ。だからこわがらないで!逃げないで!前を見て自分を信じるんだよ。
この前、先生が言ってたけど、だれにでも『見えないかべ』があるんだってさ。
私も耳が聞こえなくて、色々な『かべ』が邪魔したけど『物・心・人・体のバリアフリー』で解決してきたんだ・・・。未来ちゃん、いろいろなことを教えてくれてありがとう。きっと未来ちゃんの気持ち、色々な人に届いたよ。(M・Aさん)
今西さんは犬が大好きだと言っていましたね。私も犬が大好きです。お話を聞いて命の大切さがわかりました。私は時々「幸せって何だろう?」と思ったりします。でも今日、幸せってこういうことか、と思いました。未来ちゃんがキズだらけだったのがきれいになってよかったと思いました。
未来ちゃんも幸せものだと思いました。いつか未来ちゃんを見せてください(K・Nさん)
ボクは未来が変わっていくところを見ているうちに、未来の問題が解決するとうれしくなったり、トラブルがおきると自分まで困ったりと、まるで自分が麻里子さん(命のバトンタッチに出てくる主人公)になった気持ちで見ていて、自分の犬がそんなことになったら自分は捨ててしまうのかな・・・などいろいろと勉強になりました。「ガンバレ!未来!!」 (S・Aくん)
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どの感想文もとてもよかったが、色々な意味で私にとって印象深かったものを、取り上げてみた。
そして、今、未来が元気で生きていることに心から感謝したい!!
今後とも、未来は多くの子どもたちに、「命の大切さ」を教えてくれるだろう。
先生ってすごいよね!
先週末、W小学校の五年生を対象に「命の授業」を行なった。
私が行なう授業の出前はすべて著書の内容を引用して行なうものだ。
今回は、その中のひとつ「命のバトンタッチ」を題材に、未来ちゃんが殺処分寸前から救い出され、我が家に来るまでの話を写真とともに子どもたちの前で話し、命の可能性について考えてもらおうというのが授業の目的だった。(詳しい内容は、著書紹介「命のバトンタッチ」参照)
授業は90分、トイレ以外の休み時間はとらずに続けて行なう。
どこの小学校の子どもたちも、興味があれば、90分でも120分でもちゃんと話を聞いているが、そうでないと30分ももたない。それだけに自分の力が試されているような気持ちになる。
さて、今回のW小学校では、無事楽しく授業も終わり、子ども達はそれぞれなことを感じてくれたようであった。
そして、その後届いた子どもたちの感想文を見て、私は驚きを隠せなかった。
今まで、延べ1万人以上の小学生に授業をしているが、今まで届いたどの感想文よりも、今回のW小学校五年生の感想文は、授業のテーマを深く掘り下げ、芯の部分に個々の感想が触れられていたのである。
これは、ある少人数の感想文のことを言っているのではない。80名近い五年生全体的な感想文のレベルが非常に高かったのである。
子どもたちに物事を深く掘り下げて考えさせるには、指導が必要だ。この指導ができるのは私ではないく、担任の先生である。
今回、授業に行ったとき、まず感じたことは、五年生の学年主任であるK先生の子どもに対する真摯な姿勢だった。
先生がどういう指導をしているのかは、子どもたちと初めて会った時に伝わってくる。
K先生は、教師という仕事を心から誇りに思い、自分の天職だと日々思いながら子どもたちに体当たりでぶつかっている・・・そんな印象である。
ところが、当のK先生本人は、とても穏やかで一見、そんな情熱的なタイプには見えない。
真のK先生の姿を物語っているのは、実は、受け持っているクラスの子どもたちなのである。
K先生に受け持ってもらっている子ども達は、本当に幸せだなあ・・・というのが、子どもたちがいる教室に入った最初の印象である。
子どもは、担任の教師を選ぶことはできない―。その事実を踏まえて言うならば、K先生に当たった子どもは超ラッキーというべきなのかもしれない。
そして、それをさらに証明するものが、私の手元に届いた。
子どもたちの感想文である。
一体、このK先生ってどういう指導をしてるの?
子どもたちに決して押し付けることなく、上手にテーマについて考える力を引き出している―。
それは、昨日、今日できることではない。
時間と愛情、情熱、そして志がなくては成しえないのである。子どもは正直だ。うわべだけの指導ではついてはこない。
子どもたちの感想文から、K先生の人間性、そして教師としての誇りが見えてくる。
「教師って怖い仕事ですね。でも・・・教師って本当に素晴らしい仕事です。」
K先生の声が、感想文から聞こえる。そんな子どもたちの感想文を、後のブログで紹介したい。
子どもの感性ってすごいんです!!びっくりしますよ!
そして、その感性を引き出してくれたK先生との出逢いに感謝!!
スーパーの客
私は、スーパーで買い物に行くのが大好きである。
食べるのが好き!という理由が一番であるが、スーパーによって揃えている品も様々なので、その日のメニューによって、どのスーパーに行こうかと考えるのも楽しみのひとつだ。
同時に、スーパーでの客の行動にも自然と目が行ってしまう。
ショッピングカートやバスケットを定位置に戻さないマナーの悪い客が多くいるのは、珍しくないことだが、最近、気になっているのは「ブニュブニュ行動」をする客だ。
あるスーパーでのこと・・・。
その男客は、生麺売り場で蕎麦をじーっと見ていたかと思うと、ひとつを取り上げ両手で袋の上から麺をブニュブニュと押し始めた。そしてそれをもとの位置に戻す(というより放り返す)と、また別のを取ってブニュブニュ、また返して別のをブニュブニュと連続何個かの蕎麦をとっかえひっかえ虐待すると、全く触っていない新しい蕎麦を自分のかごに入れ、何食わぬ顔でその場を去った。すると今度は生うどんのところへ行ってブニュブニュ・・・。そこが終わると、今度は何を虐待するのかと思いきや、どうやら男は、生麺以外の虐待には興味はなかったらしい・・・一体、彼は生麺にどんなトラウマがあったのか・・・。
また、別のスーパーでは、肉売り場で肉を取り上げ、ラップの上からブニュブニュと虐待する子連れの客がいた。とっかえひっかえブニュブニュ・・・。今度は魚売り場でブニュブニュ・・・。
これを子どもが真似ないわけがない。
しかし、子どもが好きなのは、肉や魚よりパン―。パンコーナーへ行き、とっかえ、ひっかえ、買うつもりもないのに実に楽しそうにパンの柔らかい感触を楽しみ、ブニュブニュを繰り返しているではないか!
良い子のみなさん!食べ物への虐待はやめましょう!!
他のお客さんもいい気がしません!!
喉もとまでそう言いかけたが、親が参上!子どもがブニュブニュと虐待中の菓子パンを取り上げ、そのまま元の位置にポンと放り投げると、さっさとレジに歩いて行ってしまった・・・。
しばらくすると、別のお年寄りがその菓子パンを手に取り、自分のバスケットへ・・・。
あ・・・それは・・・と言いかけたが、何も言えず、一体私はここで何をやっているのだろうと、時計を見るとすでに買い物を始めてから40分が経過・・・。
やはり、今の日本の教育はおかしい・・・。
思わず自分のバスケットの品物にブニュブニュの痕跡が残っていないか確かめながらレジに向う夕暮れであった。









